連邦政府の公共事業から生まれたワークウェア。
1929年のウォール街大暴落に端を発する世界恐慌はアメリカ社会に深刻な失業と混乱をもたらした。
金融市場の崩壊は実体経済へと波及し企業の倒産や銀行の閉鎖が相次ぐ中、働く意思があっても仕事に就けない人々が全米に溢れていった。
1933年に大統領に就任したフランクリン・D・ルーズベルトは、経済再建と雇用創出を最優先課題として掲げ、いわゆるニューディール政策を推進する。
CCC(市民保全部隊)による若年層の雇用、NIRA(全国産業復興法)による労働条件の整備、AAA(農業調整法)による農業政策の転換など複数の施策が段階的に実行されたが、1930年代半ばにおいても失業問題はなお深刻な状況にあった。
そこで1935年に始まった第二次ニューディールでは失業者への給付を中心とした救済から、雇用そのものを創出する政策へと大きく舵が切られる。
その中核を担ったのがWPA(Works Progress Administration/公共事業促進局)である。
WPAは道路や橋、ダム、上下水道、庁舎、学校、空港といった公共インフラを全米規模で整備し、数百万人規模の雇用を生み出した。
1940年に制作された活動報告ポスターには、これらの公共事業に加え縫製室や給食事業、さらには芸術分野における雇用までが記録されており、WPAが人々の生活と労働を広範に支えていたことが確認できる。
WPAのプログラムの一つとして労働者用ワークウエアを製造していたのが「SEWING ROOM(縫製室)」である。
ここで作られた衣料には “Made by W.P.A. Sewing Rooms, Not to be Sold(雇用促進局縫製室製品・売り物に非ず)” と記されたタグが付けられていた。
縫製室は各州に設けられ裁縫師たちは自らの仕事に誇りを持っていたとされ、「W.P.A.」は “We Patch Anything(なんでも縫う)” の略だと語ったという記録も残る。
軍用衣料の補修や再構築を行い、それらをWPAの労働者自身が着用していた事例も確認されている。
こうした背景を持つWPA衣料はミリタリー由来のワークウエアを基調としながらも、必ずしも既存の規格に縛られない柔軟な設計が特徴となっている。
縫製仕様においても当時のワークウエアで一般的だった還縫いではなく、本縫いが多用されている点が確認されており、縫製作業そのものに重点が置かれていたことがうかがえる。
第二次世界大戦によって工場が本格的な軍需体制へ移行する以前の過渡期ならではの空気が、これらの仕様から立ち上がってくる。
本作は1930年代のWPAワークトラウザーズを資料検証に基づいて再構築したモデルである。
ダブルニー仕様による膝周りの補強、立体的に仕上げられたヒップライン、セルヴィッチ部分をそのまま使用したベルトループなど当時の実物に見られるディテールを踏襲している。
装飾性を抑え作業時の動きやすさを優先した構造は、公共事業という長時間労働を前提とした使用環境を想定したものだ。
生地には8番×10番のセルヴィッチ・ライトオンスデニムを採用。
過度な重量感を避け作業性と耐久性のバランスを考慮した番手構成となっている。
縫製はWPA SEWING ROOMの仕様を意識し、本縫いを主体とした構成を採用している。
1940年、WPAは公共建設から工場労働に就くための職業訓練へと役割を移行し、第二次世界大戦下の軍需生産拡大によって失業者が激減したことを受け、1943年に連邦議会によって解散された。
このプロダクトは世界恐慌という非常事態の中で生まれた「働くための衣服」を、現代に伝えるための一着である。